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昔の水道管、と聞くと、丸い金属の管を想像しない?
東京都水道歴史館が紹介する江戸時代の管には、木で作った「木樋(もくひ・きどい)」があるよ。木を水の通り道にするだけでも意外なのに、ふたや継ぎ目にも工夫があるんだ。
東京で歴史に触れるなら、有名な人物の名前から入るばかりでなく、毎日使う水の通り道から見てみよう。
木の管が溝をくぐる。ふたを一枚板にした理由は?
歴史館の収蔵資料案内にある木樋は、現在の有楽町、東京国際フォーラム付近にあった阿波徳島藩蜂須賀家の屋敷跡から出土したもの。
屋敷の溝を横断するため、溝の下をくぐる「伏越し」という方法で設置されていた。くぐる部分のふたには、水が漏れないよう一枚板を使い、和釘でつないでいると説明されているよ。
ここ、形を見るときの手がかりになるね。「木の箱みたい」で終わらず、どこがふたで、どこをつないだのか。その二つを探してみたい。
接続する木樋のふたには、組み合わせが分かるように絵印も刻まれていたという。管を作った後、ちゃんと組めるようにする印まであるんだ!
外の石樋は、もともと地下にあった水路
同じ案内には、神田上水の「石樋」も登場する。こちらは、石を組んだ水の通り道だよ。
水道橋からお茶の水へ向かう道路の下で見つかり、調査後に歴史館裏手の本郷給水所公苑へ移築復元された。今は地表で見られるけれど、もとは全体にふたをした地下水路だったという。
見えている今の姿と、使われていた当時の位置は違う。地面の下へ水を届けていた、と想像してから見ると、管と街の関係もつかみやすくなるね。
文献や発掘調査もたどりたい人には、『江戸の上水道と下水道』を楽天で確認する。江戸遺跡研究会編、吉川弘文館の2011年刊で、確認した販売は中古本。書誌と公開目次で上下水道の遺構を扱うことを確認したもので、本文の読後紹介ではないよ。
まずは木樋のふたと印、次に石樋のもとの位置。この二つなら、見たいところが具体的になる。来館日や資料の展示状況は館の公式案内で確かめて、現地では解説板と見比べながら、ふたと印を探してみよう。